講演会・サイン会

 


 

 

 

加藤睦子・歴史講演会

朝倉・美奈宜の杜コミュニティー・センタ
2015年1月31日
〒838 福岡県朝倉市美奈宜の杜

 

卑弥呼伝説の里、朝倉市美奈宜の杜。耳納連山を一望に見渡す美しい四季の景観と温泉が、
多くの人々を暖かく迎え、心を癒している。
2015年1月31日、美奈宜の杜コミュニィティーセンター内、杜のサロンでの歴史講演会。

 加藤睦子の主人・加藤シオーの先祖は、この三奈木一体を治めた黒田美作一成の叔父にあたり、親族として代々、明治までこの地方を治めてきました。
 黒田官兵衛が人生最大の危機、伊丹城(有岡城)に1年1か月幽閉された時に、以前の伊丹城主一族が、衣服を整え親身に世話をした縁により、加藤(伊丹)又左衛門重徳の次男玉松丸が、姫路城主官兵衛の養子となります。この時、重徳の弟・加藤(伊丹)十一右衛門の家族も玉松丸(のちの黒田一成)の後見人として、官兵衛の家臣となりました。

 官兵衛はこの時、一人息子・松寿丸(後の黒田長政)が信長により殺害されたことを聞き、
かつての伊丹城主一族であった玉松丸を黒田家にもらい受けることを懇願したのでした。実は松寿丸は竹中半兵衛の関ヶ原の館に密かにかくまわれて生きていたのでした。ここにも感動の報恩感謝物語があります。後に、松寿丸が姫路城に戻り、黒田家は歓びに溢れました。黒田家の嫡男となるはずであった玉松丸は次男として大切に育てられますが、官兵衛に次男・熊之介が生まれると、玉松丸は三男として黒田三左衛門と名乗りました。黒田家の三男坊として、三奈木一万二千石の大老として明治まで続きました。

加藤家の歴史を紐解くうちに出会った、加藤重徳、荒木村重、黒田官兵衛の出会い、その三家の互いの、友情・報恩感謝物語が、目に見える形で朝倉市に遺されているのです。

 

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